ブラジル「さよなら また逢う日まで」 2011.8.16 14時の回
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劇団ブラジルの「さよなら また逢う日まで」を観てきた。
僕はこーゆう、「スマートなスーツを着てカッコいい構え方で銃ぶっ放す」系のお話が割と苦手なんだが(学生がそういうの作りたがるから)、観終わって数日経ってからも、「また観てもいいかなー」と思えたのは、単純に役者に好感がもてたからだろう。
みなさんキャラが立っていて、印象ぶかい。
物語の起点となるのが、4年ぶりにムショから出所した伊藤という男なんだが、この男がまぁ冒頭からとっても無邪気だ。
伊藤が「スマートフォン」や「流行語」に敏感に反応する様から、彼が世間から隔てられてきた4年の重さが伺えるわけだが、もちろん変化したのはそれだけではない。かつての銀行強盗チームのメンバー一人一人が、4年前とは違ったプロフィールを有しているのだ。
しかしながら、伊藤が「死者のごとく」4年前と変わらず振る舞えば、他のメンバーも4年前のキャラクターに収まらざるを得ない。こうして4年前に「死んだ」男を囲んで奇妙な芝居が始まるのである。
話 逸れますが、以前友達が「スピッツは残酷なバンドだ」と言っていました。僕が「なぜ」と聞くと、友達は「今も昔も変わらず良いのに、昔のように聴けない自 分に気づかされるから」と答えました。ぼくはそれを聞いて、スピッツって(というか草野マサムネって)死者のようだな、と思ったんです。死者が変わらなけ れば変わらないほど、生きて変化し続ける僕たちは罪深い…。そういうわけで、ぼくは伊藤を「死んだ男」と形容するのです。逸話おわり。
4 年前と変わらぬ関係性を強いる伊藤の行動は、再会(リユニオン)のための儀式のようにも思えるし、後にメンバー達が疑うように「復讐」のようにも思える。 このへんは結局なんだったのか、後半グチャっとしちゃってよくわかんなかったが、そのへんをよりミステリアスに、より不気味に描くためにも、伊藤はこれで もかというほど無邪気である必要があったんだと思う。そのへんが僕はとっても面白かった。
作演のブラジリィー・アン・山田さんは、「悪い奴ほどその笑顔は魅力的」だとし、そんな「矛盾した人間の魅力」を描き続けてきた、と書いている。僕はこの言葉から、ダウンタウンの名コント「ミックス」を思い出す。
大阪(おそらく尼崎)の小さな社宅で、壮絶にいがみ合いながら壮絶に愛し合う家庭。そんな不器用な愛こそが、「矛盾した人間の魅力」ということだろうか。
「さよなら また逢う日まで」に愛があるとすれば、憎しみ、怯え、呆れながらも、それでも伊藤の呼びかけに集まったメンバーの「矛盾」こそがそれだったんじゃないかなぁ、と締めくくってみようかな。
インゲルさん、ありがとうございました。
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高城晶平(ミュージシャン cero)